マッチ売りの少女: ファイア・セールス
寒い夜の「チャンス」
雪の降り積もる夜。年の瀬の喧騒が遠い響きとなる中、一人の少女、エリーゼが震える手で路傍に立っていました。彼女の目の前に広がるのは、昔ながらのただのマッチ箱ではありません。きらびやかなラベルが貼られたそれは、今や 「プロメテウス・ライト・システム」 という、世界を変えるとうたわれる新時代の点火ツールでした。
「お嬢様、奥様、旦那様…この寒い夜に、凍える手で一本のマッチを擦るなんて、もう古いやり方ですわ!」
エリーゼは、精一杯の愛想笑いを浮かべます。幼い頃から祖母に教え込まれたのは、「製品の良さではなく、夢と希望を売る」ことでした。
プロメテウス・ライト・システム
彼女が売っているのは、火打石と特殊な化学物質を組み合わせた、驚くほど高性能な発火キットです。キットの価格は法外でしたが、その売り文句は魅力的でした。
「これは単なる火ではありません。未来の暖かさ、未来の食卓、未来のエネルギーへの投資です。このキットを一つ買うごとに、あなたは 『ファイア・セールス・ファミリー』 の一員となり、さらなる大きなチャンスを得られるのです!」
彼女の会社、巨大なマルチ商法組織 「ヒート・ネットワーク」 は、この「プロメテウス・ライト」を中心に、人生を豊かにする「暖かな」生活を提唱していました。そして、その核心は「製品を売る」ことではなく、「ダウンラインを築く」ことにあるのです。
凍える夢
エリーゼはポケットの奥にある、たった一枚のパンフレットを取り出しました。そこには、数々の成功者の写真と、彼らが手にした豪奢な生活が描かれています。彼らの共通のメッセージは一つ。「あなたの熱意が、収入になる!」
「見てください!もしあなたが三人の新規メンバーをリクルートすれば、あなたの収入は爆発的に増加し、この冬の寒さなんて感じなくなるでしょう!」
彼女の言葉は熱を帯びていましたが、彼女自身の手足は氷のように冷たかった。彼女のノルマは、この寒い夜だけで 「プロメテウス・ライト」 を五箱売り、さらに一人の 「アップグレード会員」 を見つけることです。そうでなければ、彼女の「アップライン」である叔母から、厳しい叱責を受けるでしょう。
誰も立ち止まりません。人々は彼女の「夢」には興味がなく、ただ急いで暖かい家へ帰ろうとしています。
最後の幻想
ノルマ達成にはほど遠い時間だけが過ぎていきました。エリーゼは凍えた手のひらで、売れ残った「プロメテウス・ライト」の箱を握りしめます。
「せめて…ひとつだけ、デモンストレーションを…」
彼女は、会社から支給された唯一のサンプルキットを静かに開けました。これは、通常の発火キットの数百倍の輝きと熱を放つ、特別なデモ用です。
カチッ。
辺りを一瞬で照らす、まばゆい光と熱。それは、彼女が売り込んでいる「未来の暖かさ」そのもののようでした。
その炎の中に、エリーゼは幻を見ました。
暖炉とコミッション・ボード
まず、最初の幻。
それは、豪華な邸宅の暖炉でした。炎が燃え盛り、彼女は最高のセールス・アワードの盾を手に、微笑んでいます。叔母や会社の重役たちが、彼女の「桁外れのコミッション」を称賛し、喝采を送っています。彼女のダウンラインは数千人に膨れ上がり、彼女は真の「ヒート・ネットワーク」のトップ・リーダーになっていました。
「素晴らしい、エリーゼ!これで、あなたはもう寒くない!」
しかし、幻影の暖かさは、彼女の手元にある炎からしか伝わってきませんでした。
次に、二番目の幻。
今度は、彼女が尊敬していた祖母の姿です。祖母は優しい眼差しで彼女を見ています。
「エリーゼや。あなたは、人々を暖かくしようと、一生懸命頑張ったんだね」
祖母はそっと彼女の頬に触れました。その瞬間、エリーゼは気づきました。この会社が売っているのは、「暖かさ」ではなく、人々が持つ 「孤独を埋めたい」 という感情と、 「現状を変えたい」 という切実な「夢」だけだったのだと。そして、彼女自身も、その「夢」の最大のリクルート対象者だったのです。
炎が少しずつ小さくなっていきます。
炎が消えた後
炎が完全に消えると、元の暗闇と寒さが彼女を包みました。 彼女の顔には、成功者の熱狂的な笑みではなく、静かで穏やかな表情が残されていました。
翌朝、人々は路傍で凍りついた少女を見つけました。彼女は手に、ラベルの派手な 「プロメテウス・ライト・システム」 の箱を抱きしめていました。
世間は、彼女の悲劇的な死を報道しました。 しかし、彼女が所属していた 「ヒート・ネットワーク」 のプレスリリースはこう締めくくられていました。
「彼女は、最後の瞬間まで、最高の製品を手放しませんでした。真のリーダーの模範です。彼女の熱意は、我々のネットワークの中で永遠に燃え続けるでしょう。今こそ、あなたも『ファイア・セールス・ファミリー』に入り、彼女の夢を引き継ぐチャンスです!」
そして、その日もまた、大勢の貧しい人々が「プロメテウス・ライト・システム」のパンフレットを手に、未来の 「暖かな成功」 を信じて街角に立つのです。