第七章: 鋼鉄と硝煙のラビリンス
エレベーターの扉が開くと同時に、世界から音が消えた。いや、そう感じたのは一瞬で、直後、鼓膜を直接殴りつけるような衝撃波がミナトの全身を叩いた。ナーヴコア社の私設警備部隊「ガーディアン」が放った、ソニックライフルの咆哮だった。
「伏せろ!」
ケンジの怒声が響き、ミナトは反射的に床に突っ伏した。目の前でエレベーターの壁が火花を散らし、金属の破片が飛び散る。待ち構えていたのは、強化外骨格に身を包み、ARゴーグルで顔を覆った5人のガーディアン。彼らは警察ではない。企業の利益を守るためだけに存在する、合法的な私兵だ。
ケンジはエレベーターの操作パネルを盾にしながら、即座に応戦を開始した。彼が放った小型EMPデバイスが甲高い音を立てて炸裂し、ガーディアンたちのARゴーグルに一瞬のノイズを走らせる。その隙に、ケンジは驚くべき速さで通路の資材コンテナの陰へと滑り込んだ。彼の動きには、ミナトのような素人の恐怖はなく、ただ冷徹なまでの効率性だけがあった。
「アカリ、照明を落とせ!」レイジがインカムに叫ぶ。 『了解!』
次の瞬間、通路の照明が一斉に消え、完全な闇が訪れた。ガーディアンたちが暗視モードに切り替える、わずか0.5秒のタイムラグ。それを、ケンジは見逃さなかった。闇の中から閃光が走り、ガーディアンの一人が衝撃で吹き飛ぶ。
「ミナト、行くぞ!」
レイジに腕を引かれ、ミナトは銃弾が飛び交う中を必死で走った。目指すは、セレブラム・クラスター区画へと続く、第一隔壁扉。しかし、その分厚いチタンの扉は、赤い警告ランプを点滅させ、固く閉ざされていた。
「ミナト、開けろ! アルゴスがロックをかけている!」 「やってる!」
ミナトは壁のコンソールにデータ接続装置を繋ぎ、キーボードを叩く。だが、画面には幾重にもかけられた暗号化の壁が表示されるだけ。警備AI「アルゴス」が、アカリとは比較にならない速度で、ミナトの侵入をブロックしていた。
その時、天井から自動迎撃タレットが2基、姿を現した。 「まずい!」 機械的な音と共に、タレットがミナトに照準を合わせる。ケンジが、ミナトを突き飛ばすようにして間に割り込んだ。閃光。ケンジの呻き声。彼の左足から、赤い血が滲んでいた。
「ケンジ!」 「かすり傷だ! それより、扉を…開けろ!」
ケンジは負傷した足を引きずりながらも、応戦を続ける。後方からはガーディアンの増援部隊が迫ってくる足音が聞こえた。アカリからの通信が、絶望を告げる。
『ダメだ、レイジ! アルゴスが私のバックドアを次々と塞いでる! もう陽動もかけられない! そっちのシステムは完全に独立させられた!』
銃弾は残り少なく、ケンジは負傷し、扉は開かない。まさに、進退窮まった。ミナトの頭は恐怖で真っ白になり、指が動かなくなった。これまでだ。ここで、すべてが終わる。
万策尽きたかに見えた、その時だった。レイジが、コンソールを叩くミナトの手を止めさせた。彼は通路の壁の一角、床から数十センチの高さにある、古びた金属製のカバーを指差した。
「ここしかない」
そこにあるのは、人が一人、這ってやっと通れるほどの、古い空調メンテナンス用のダクトの入り口だった。
「アルゴスは、このビルの神経系の全てを掌握する完璧なシステムだ。だが、それゆえに、建設当時の古い設計図にしか載っていないような、こういう非効率で忘れられた『獣道』は、奴の計算に入っていない」
レイジはバールのようなものでカバーをこじ開けた。カビ臭い、冷たい空気が流れ出してくる。その先は、光の一切ない、本当の闇だった。
「行くぞ。ここが、神の目の届かない唯一の道だ」
レイジは負傷したケンジの肩を担ぎ、ミナトに先に行くよう促した。後方から迫るガーディアンたちの怒号を聞きながら、ミナトは覚悟を決め、その暗く狭い鉄の胎内へと、身を滑り込ませた。